2025年春にスタートするNHKの朝ドラ「あんぱん」は、アンパンマンの作者・やなせたかしさんとその妻・暢(のぶ)さんをモデルに描かれた感動の物語です。
やなせさんの名は広く知られていますが、多くの視聴者が気になるのは、ヒロイン「朝田のぶ」のモデルである暢さんの人物像ではないでしょうか。
この記事では、暢さんがどんな人だったのか、どのようにしてやなせさんと出会い、戦後の高知新聞社でどんな活躍をしていたのか、そして「あんぱん」のドラマでどこまで描かれるのかについて詳しくご紹介します。
この記事を読むとわかること
- 朝ドラ「あんぱん」ヒロインのモデル・暢さんの人物像
- やなせたかしさんとの出会いと夫婦の感動エピソード
- 「月刊高知」での活躍とドラマの注目ポイント
暢さんはどんな人物?ドラマ「あんぱん」のヒロインのモデル像を解説
2025年春の朝ドラ「あんぱん」は、アンパンマンの作者・やなせたかしさんと妻・暢(のぶ)さんをモデルにした物語です。
ヒロイン・朝田のぶのモデルである暢さんは、力強く、そしてしなやかに生き抜いた女性でした。
知られざる彼女の人生に触れることで、ドラマの背景がより一層深く味わえるはずです。
戦後初の女性記者として高知新聞社へ入社
暢さんは1946年に高知新聞社に入社し、戦後初の女性記者2人のうちのひとりとなりました。
当時、新聞記者という職業は圧倒的に男性が中心であり、女性が取材現場に出ること自体が珍しい時代でした。
そんな中で、彼女は高知県政や市政といった硬派なテーマを担当し、記者としてのキャリアを築き上げました。
当時を知る人々の証言によれば、「話題も広く、怖い物知らずな性格」で、記者としての信念を持って仕事に取り組んでいたことがうかがえます。
ジープに飛び乗る“ハチキン”な行動派の記者だった
やなせさんが語った彼女の姿には、まさに「朝田のぶ」の原型が見て取れます。
彼は社内報の中でこう綴っています。
ジープに飛び乗って焼け跡の街を走り回る、土佐の方言で言えば“ハチキン”というおてんばの性格
“ハチキン”とは、土佐弁で「芯が強く、行動力のある女性」を表す言葉です。
戦後の混乱期、男性顔負けの機動力で現場を駆け回る暢さんの姿は、まさに時代を切り開く先駆者の姿でした。
その行動力はやなせさんにも強い印象を与え、やがてふたりの恋の始まりにもつながっていきます。
高知出身ではない?大阪から高知へと渡った理由
意外にも、暢さんの出身地は大阪であることが分かっています。
父親が高知県安芸市の出身で、終戦後、縁を頼って高知に移り住んだとされています。
大阪の女学校を卒業後、一時は東京で暮らしていた時期もあり、その間に結婚するも、夫は終戦直後に他界したという過去も。
そうした壮絶な経験を経て、暢さんは自らの道を切り拓こうと高知新聞社の門を叩きました。
この背景には、「生きるために自立しなければならない」という強い意志があったと考えられます。
やなせたかしさんとの出会いと恋愛エピソード
ドラマ「あんぱん」は、ただの成功物語ではありません。
そこには夫婦二人三脚で人生を乗り越えていく愛と信頼の物語があります。
やなせたかしさんと暢さんの出会いから結婚に至るまでには、映画のようなロマンチックなエピソードが詰まっています。
入社試験の日に運命の出会いが始まった
やなせたかしさんが高知新聞社の入社試験を受けに来たその日、受付と片付けを担当していたのが暢さんでした。
まだ正式な配属前であったにも関わらず、彼女の仕事ぶりや存在感はすでに社内で目を引くものがあったようです。
やなせさんはこのときの暢さんの印象を、後の文章で「受付の女の子として軽んじられるようなこともあった」と記しており、彼女が女性として働くことの難しさと、それを乗り越える強さを持っていたことが伺えます。
まさにこの瞬間が、二人の物語の“第一章”となったのです。
一目惚れから始まった真っ直ぐな恋と結婚まで
やなせさんは、のちのインタビューで暢さんとの出会いを「一目惚れだった」と明かしています。
暢さんは「月刊高知」の編集部に配属され、速記の腕を活かして活躍していました。
やなせさんはその部門で、表紙のデザインから挿絵、取材、構成まですべてを担当しており、同じ職場でふたりは自然と心を通わせていきました。
真面目で几帳面な暢さんと、柔らかな発想で知られるやなせさんという正反対の性格の組み合わせは、互いの足りない部分を補う理想的なパートナーだったのかもしれません。
「先に上京して待ってるわ」…名台詞が生まれた背景
「月刊高知」の編集を担当していた暢さんは、5号の編集を最後に高知新聞社を退社します。
そのとき、やなせさんにかけた言葉が「先に上京して待ってるわ」でした。
この一言には、彼女の決断力と未来への覚悟がにじんでいます。
当時、やなせさんはまだ漫画家としての成功には程遠く、不安定な立場でした。
それでも暢さんは先に東京へ行き、やなせさんが後を追う形で合流し、やがて結婚。
このエピソードは、愛だけでなく、信頼と覚悟があったからこそ成り立ったものであり、ドラマ「あんぱん」の中でもきっと印象的なシーンとして描かれることでしょう。
ドラマで描かれる「月刊高知」編集部での奮闘
朝ドラ「あんぱん」では、やなせさんと暢さんが共に汗を流した「月刊高知」編集部での奮闘が、大きな見どころの一つです。
ふたりが出会い、互いに惹かれ、そして仕事を通じて信頼を育んでいくこの舞台は、彼らの原点とも言える場所。
編集という地味に見える作業の裏側には、戦後の混乱期を生きる知恵と情熱が詰まっていました。
文化総合雑誌「月刊高知」とは?
「月刊高知」は1946年から1950年まで全49号が発行された地方の文化総合雑誌です。
地方紙が手がける雑誌としては非常に珍しく、社会・文化・芸術・市民生活など幅広いテーマを取り上げていました。
やなせたかしさんはその創刊から中心的役割を果たし、表紙のイラスト、挿絵、取材記事までを一手に担っていたことで知られています。
一方、暢さんも記者として記事制作に参加しており、この雑誌はまさに夫婦の初めての共同作品とも言える存在です。
速記の名手だった暢さんとやなせさんの二人三脚
暢さんは「月刊高知」で速記を担当し、その技術は社内でも一目置かれるほどの腕前だったそうです。
当時の取材や座談会は録音機器が乏しく、すべて手作業の記録が中心。
彼女の速記力があったからこそ、臨場感ある記事が成り立っていたと言っても過言ではありません。
さらに、彼女はドイツ製の一眼レフカメラを持ち、自ら撮影も行っていたとの証言もあり、その多才ぶりには驚かされます。
こうしたスキルはやなせさんとのコンビネーションにも活かされ、ふたりは編集部の中心として活動していきました。
編集・取材・撮影…すべてをこなすプロフェッショナルぶり
「月刊高知」の編集部では、分業ではなく少人数で何役もこなすのが当たり前でした。
やなせさんは「表紙からカット、座談会の司会まで自分でやった」と回顧しており、そのマルチな才能が誌面を彩っていました。
一方の暢さんも、文章の構成、速記、資料整理、撮影まで幅広く担い、まさにプロフェッショナルな記者としての資質を発揮していました。
ふたりの共同作業の積み重ねは、のちの「アンパンマン」の原点にもつながるチームワークの原型だったとも考えられます。
ドラマ「あんぱん」では、そんな情熱と創造の現場がどのように描かれるのか、多くの視聴者が注目していることでしょう。
暢さんが与えた影響とその後の人生
やなせたかしさんの活躍の裏には、常にそばで支え続けた暢さんの存在がありました。
彼女は自らの名前や功績を表に出すことは少なくても、人生をかけて夫を支え続けた“縁の下の力持ち”でした。
その影響は、やなせさんの創作や人生観にも大きく反映されています。
やなせたかしさんを陰で支えた存在
暢さんは「月刊高知」の編集を離れたあと、上京してやなせさんと結婚。
その後は、彼の創作活動を献身的に支え続ける人生を歩みました。
特にやなせさんが苦労した時代には、経済的なやりくりから精神的なサポートまで、暢さんが全面的に支えていたと言われています。
晩年、暢さんは「子どもっぽい主人を置いていけない」という言葉を残していたことからも、その深い愛情と責任感がうかがえます。
甥が語る暢さんの「怖い物知らず」な人柄
暢さんの甥で、現在愛媛県今治市で和洋菓子店を営む川上峻志さんによると、暢さんは「気が強くて怖いもの知らず」な女性だったそうです。
話題も豊富で、ユーモアにも富み、家族の中でも印象的な存在だったと語られています。
「『主人と同じ名前ね』と、やなせさんの名前を持つ甥を特にかわいがっていた」というエピソードもあり、彼女の人懐っこく温かい一面も垣間見ることができます。
このような人柄は、やなせさんの創作にも良い影響を与え、アンパンマンの「優しさ」と「強さ」という二面性の源となっていたのかもしれません。
秘書の証言から見える、夫婦の深い絆
暢さんが亡くなったのは1993年。以降、やなせさんを支えたのが秘書・越尾正子さんです。
越尾さんは、暢さんについて「とにかく先生のことを心配していました」と語っています。
「今は売れていても、いずれ仕事がなくなるかもしれない」と、やなせさんの未来を何よりも案じていた暢さん。
また、ベランダで茶花を育てるなど、控えめな日常を大切にする一面もありました。
夫婦として、互いを補い合い、高め合った関係性は、創作活動の源であり、ふたりが歩んだ人生そのものでした。
朝ドラ「あんぱん」の見どころと放送情報
2025年春、NHKの連続テレビ小説として放送される「あんぱん」は、アンパンマン誕生の裏にある愛と挑戦の物語です。
ヒロイン・朝田のぶを演じる今田美桜さんをはじめ、実力派キャストや緻密な制作陣によって、高知の風土と時代背景が丁寧に描かれます。
作品の舞台裏や、最新の放送情報をチェックして、放送開始に備えましょう。
ヒロイン役・今田美桜さんが語る暢さん像
今田美桜さんが演じるヒロイン・朝田のぶは、暢さんの生き様をモチーフにしたキャラクターです。
高知新聞社を訪れた今田さんは、やなせ夫妻が出会った資料を見学し、「貴重な時間を過ごされた大切な場所だと伺いました」と語りました。
役作りにあたっては、「逆境にも負けず前を向く女性像を丁寧に表現したい」と話しており、暢さんの芯の強さや温かさをどう表現するかに意識を向けている様子がうかがえます。
視聴者にとっても、彼女の演技が暢さんという人物を知る大きな手がかりとなるでしょう。
高知ロケのエピソードと制作スタッフの熱意
2024年9月には高知県内でロケが実施され、琴ケ浜など美しい自然と歴史的背景が残る場所で撮影が行われました。
制作チームは高知新聞社に資料提供を依頼し、当時の原稿用紙や取材方法などについても綿密に取材。
スタッフは「少しの時代考証の違いも見逃さず、丁寧に作り込みたい」と語っており、その真摯な姿勢が画面からも伝わってきます。
高知新聞の記者も「社史や社報を探して答えた。朝ドラの影響力の大きさを実感した」と証言しており、地域とドラマが一体となって作品づくりが進められたことがわかります。
放送日・視聴方法・再放送予定まとめ
- 放送開始日:2025年3月31日(月)
- 放送局:NHK総合・NHK BS
- 放送時間:午前8時〜(再放送は午後0時45分〜)
- 見逃し配信:NHKプラスおよびU-NEXTにて見逃し視聴可(登録が必要)
朝ドラファンにとって、朝の時間を彩る15分間の感動は欠かせないひととき。
「あんぱん」は、子どもにも大人にも愛されるアンパンマンの原点を描きながら、夫婦の愛と希望、そして時代を生き抜いた人々の姿を描き出していきます。
放送開始とともに、その世界観にどっぷりと浸かりましょう。
この記事のまとめ
- 2025年春の朝ドラ「あんぱん」はやなせ夫妻がモデル
- ヒロインの朝田のぶは暢さんを基にしたキャラクター
- 暢さんは戦後初の女性記者として高知新聞社に入社
- やなせさんとは入社試験の日に運命の出会い
- 二人は「月刊高知」編集部で共に奮闘
- 暢さんは速記・撮影もこなすマルチな才能の持ち主
- 「先に上京して待ってるわ」がふたりの愛を象徴
- 生涯にわたりやなせさんを陰で支え続けた
- ドラマでは高知ロケや資料に基づく描写も注目
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